プロ野球を見るのが嫌になってしまった件

あれは小学校1年生だったか2年生だったか、どちらにせよもう20年くらい前のある日、いきなり野球に興味を持った。なぜかはわからない。
草野球の審判向けの教則本を買ってもらって「走者が前の走者を追い越した場合、追い抜かれたランナーがアウト」「フライで飛び出したランナーがアウトになるのはアピールプレイとなるため、守備側がアピールを怠るとアウトにならない」「グラブを投げて打球を止めた場合、走者に3つの安全進塁権が与えられる」などなど、珍プレー発生時の審判の対応についてやけに詳しくなった覚えがある。

そしてその後の人生の中でほぼ唯一興味があるといってよい競技でもある。たぶん野球以外のスポーツを1試合最初から最後までちゃんと見届けた経験はないと思う。100m走ですら意識的には見たことがない。
だいたい年に1回は東京ドームまで足を運んでいる。ガチガチのファンからしたら大したことないが、それ以外のスポーツ観戦を自発的にしたことがないのだから、これは異常な数といえる。偏愛だ。

そんな自分が、この一ヶ月近くまったく野球に触れようという気持ちが起こらない。ジャイアンツファンがこのタイミングでこういうことをいうと「中田翔か!?」と思われそうだけど、それは理由の5%くらいだ。

スポーツ界、もっと言えば社会全体が暴力にNOの姿勢を鮮明にする中で、暴力沙汰を起こして2週間の選手を大した処分もせずにトレードで受け入れて、いきなり1軍で使うのは擁護できない。
確かに謹慎処分を科したのはファイターズで、移籍したらその効力がなくなる…というロジックは理解できなくはない。しかし同意はできない。
そもそも暴力事件に対しての処分は警察が動くべきことじゃないか。「暴力を振るってケガをさせる」というのは球団だったり球界のルールにも違反しているけれど、それよりも先に法律で裁かれるべきだ。
ホームランを打つ打たないなんていうのは些末な問題でしかない。傷害事件を起こした人がいます。でもトレードしたから謹慎終わり!1軍戦力!なんて甘っちょろすぎる…というのが理由の5%である。


残りの95%はオリンピックにまつわる話である。
そもそもスポーツに興味がない自分にとってはオリンピック自体が完全に他人事だし、誰が金メダルを取ろうが取れなかろうがどーでもいい。別世界の話だ。
しかし、今回の東京五輪は話が違う。自分が住むところの近くで、感染症が猛威を振るい、医療体制が崩壊しつつある中で開かれたオリンピックなのである。

オリンピック期間中に「参加する選手への批判はされるべきではない」という風潮があったけれど、自分はそうは思えない。もちろん誹謗中傷は論外として。
選手側も「スポーツで夢と希望を」と声を上げていくのに、オリンピックの裏で起きていることに声を上げないのはさすがに無責任が過ぎるんじゃないか。スポーツによる夢と希望の行き着く先になにがあるのか、そういう部分に一切触れないのは、それこそスポーツマンシップにもとる行為ではないかと思えてしまう。

そして残念ながらそういった声はプロ野球から聞こえてくることがない。


こういう七面倒臭いことを考えてしまうせいで、どうも野球に触れようという気になれない。まあ、見なければ見ないでそれなりに楽しく過ごせるので、しょうがないなと思っている。
コロナ禍が落ち着いたらそのうちまた見たくなるのかもしれないけれど、とりあえず今の心境としてはそんな感じだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA