気がつけば二十代も後半戦に突入している。とりあえずここまでは順風満帆とはいかないまでも、ある程度健康に過ごすことができている。これ以上多くを望むのも野暮というものであろう。
ふと高校生くらいの頃から手を変え品を変えブログもしくはそれに準ずるものを書いていることに驚く。10年くらいやってるのかこんなこと。それにしては良くも悪くも特になんの話題にもならないのはむしろすごいことなのではないかと思う。
自分が高校生や大学生の頃、周囲の大人たちが「自分の年齢を忘れがち」と話しているのを聞いて「流石にそんなことはなかろう、数字を覚えておくだけではないか」などと心の中で不信感を抱いていたのだけど、先日「そういやそろそろ誕生日か…」などとぼんやりと考えていたのだけど、その後自分の年齢が分からないという事態が発生してしまった。
自分の生まれた年は覚えているのだ。そこから暗算すれば即座に自分の年齢は判明する。電卓に打ち込んだって良い。そういう観点から言えば、自分の年齢が咄嗟に出てこないことなんて実生活で困ることはひとつとして無いのだ。困ることはないんだけど、結構なショックだ。高校生の頃の自分に謝りたい気分だ。そういう大人になってしまったよ。
しかし、よくよく考えてみると、むしろ年齢を即答できる方がどうかしているのではないかとも思う。おそらく小学生に年齢を尋ねれば自慢げに教えてくれるだろう。だけど、自分の年齢が分かったからと言ってなんなのだ。大丈夫。我ながら暴論を振りかざしている自覚はある。
学生が自分の年齢を覚えているのは、「節目」があるからだ。学年という節目はもちろん、年齢によって解禁されるものもあるだろう。具体的になにとは言わないけれど。
それが二十代半ばになってしまうと、そういう節目が少なくなってくる。解禁されるものといえば被選挙権くらいなものだけど、それを行使する人はほぼいないだろう。二十代半ば、年齢によって変わるものなんて存在しないのだ。
そして数年間節目がなかった後、突然訪れるのが三十路という節目なのかもしれない。その辺りになると、「年齢を忘れていた」というよりも「年齢をなんとかして忘れる」人が多くなってくる気もするが、それはまた別のお話だ。