まったくもって、自分の人生というのは行き当たりばったりだなと思う。
なんらかの予定を立てて、その筋道通りに過ごすと言うことが苦手だということを自覚したのは中学生の頃だろうか。
定期試験前に「これからの2週間、自分はこういうスケジュールで勉強をします」という計画をする…というプリントが配られた。1日を円グラフのように分割し、何時に起き学校に行き、帰ってきてから何時間勉強、何時に就寝。何日目から何日目には数学をメインで勉強し、その後英語を勉強し…そんな具合に定期テストまでの2週間を設定するのだ。どうしよう、なにも思いつかない。
なにも思いつかないなりに、すごく普通のスケジュールを書いて提出した覚えがある。普段の自分よりも少しだけ勉強に割く時間を増やし、休日の勉強時間を増やした。だいたいこんなもの、家に帰ったら先生には確認のしようがないじゃないか。学校にさえ出席していれば、これと真逆のスケジュールを過ごしてもバレないのだから。
テストが終わって、友人と話している時に「あのプリントってなんだったんだ、意味があるのかあれは」というような話をしたら「完璧にあれの通りではなかったけれど、それなりに参考にして過ごしたぞ」という返答が帰ってきた時には驚いた。あのどうしようもなく思えたプリントを、それなりに活用した人間がいたのだ!
小学生の頃にわりと上位の成績を取っていた友人と僕は、斯くして中学卒業時にはそれなりの学力の差を持って卒業することとなった。もちろん友人は上位をキープし、僕は転落の一途を辿ったのである。
その頃よりは世の中をまっすぐみるようになって、表向きには最小限の計画性という物を身に付けた気がするのだけど、やっぱり計画通りに物事が進んでいくことの方が少ない。苦手な物は結局苦手である。
これがことプライベートの計画となると、完全に崩壊している。これまでに何度かひとり旅というものをしたことがあるけれど、その大部分を行き当たりばったりに過ごしてきた。
2日くらい前になって「そういえば明後日から2連休だな、長野に行こう。泊まりで」と思い立ち、とりあえず行きの新幹線と宿を予約。前日にある程度の荷造りをして当日出発。帰りの交通手段?なんとかなるでしょ。
クレジットカードなんてものが存在するばっかりに、お金を下ろしにATMに立ち寄る必要すらもないのだ。現代はそれでまあそれなりにちゃんと旅行ができてしまう。乗換案内様々である。
さて、万事こんな調子で生きてきたのだけど、前々から行きたかった長崎旅行を計画するにあたり、飛行機の予約サイトを見て仰天した。
前日や当日にチケットを手配しようとすると片道5万円、しばらく前から予約していると2万円、場合によっては1万円台で販売しているではないか。
適正価格とはなんぞやと思うと同時に、さすがにこうなってくると前々から予約をしなければならぬ。しかし、3週間も前から飛行機を予約してしまったら、突然予定が入ったらどうすればいいのだ…
詰まる所、往復の飛行機差額分6万円で、その後の生き方をかなり制限することとなるわけだ。こういう不安定な時世で3週間後に自分がなにをしているか決める。結構な勇気がいることだ。
流行病にかかるやもしれぬ、もっと言えば自分がかからなくても家族であったり、職場の人間が感染した場合、この数万円はおじゃんとなるだろう。それなりに危険な賭けであると言わざるを得ない。
こんなことを書いていたら、もう旅行なんて諦めた方が良いのではないか、人生に計画など持ち込まずに、ずっと自堕落に過ごしていた方が良いのではないか、という気持ちがふつふつとわき上がってきたのだけど、もう予約ボタンを押してしまった。もうキャンセル料が発生するではないか。
自堕落人間の明日はどっちだ。