僕は、自分こそが主人公で、今こうして生活している「現在」こそが世界の真ん中だと思い込んでいた。けれど、正確には違うかもしれない。
これは伊坂幸太郎の小説『アヒルと鴨のコインロッカー』の一節である。
「現在」と「二年前」の話が交互に展開される伊坂ファンにとっては「得意のアレですね!」となる構成の小説。「現在」パートの主人公の述懐である。
自分としてはこの小説は数ある伊坂作品の中でも1,2を争うくらいの魅力がある作品だと思っている。読者が共感・没入・自己投影していくであろう主人公が、実は話の本筋としては途中出場もいいところだ。
「自分の人生という物語の主役は自分!」というのは、自己を啓発する系統のワードとしてはかなりポピュラーである。言ってることはたぶんひとつも間違っていないし、そういう心持ちで生きることはきっと大切だと思うし、そう思って生きた方がいろいろといいことがありそうじゃないですか。
しかし、その主張を素直に受け入れるのであれば「他人からみて、自分は脇役」ということも同時に受け入れなくてはならないはずだ。
「自分が主要人物として参加している」と思っている物語は、自分を中心に回っていない可能性も大いにありうると思う。
このところ、本来の配置ではない場所で働く機会が急増していて、このことを痛感している。
自分がまったくいないところで進んできたストーリーがあって、現状があって、そして近い未来に僕はそこから立ち去ることになる。途中出場・途中交代である。
自分の人生において自分は主人公であるけれど、実のところ、大きく見れば全くの脇役なのだ。
もちろんスターティングメンバーではない。いいとこ途中出場。ほとんどモブと言っても過言ではない。
現状、「自分が主役!」という風になりたいとも思わなければ、「脇役は嫌だ」みたいな感情もない。きっと向上心とかそういうものが欠落してしまっているのだと思う。
まあでもいいや、脇役でいいからなんとか生きていたい。というのが今年の目標だったりするのかもしれない。