破滅願望の話

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例えば、この文章を読んでいるあなたが学生だったとして、みんなが真剣にテストに取りかかっているとき、突然大声を出したい衝動に駆られたことはないだろうか。
これを読んでいるあなたが社会人だったとして、上司の目の前で上司のモノマネ、もちろん悪意があるやつを実演したらどうなるだろう。と思ったらその想像が頭から離れなくなることはないだろうか。

僕は上に挙げた両方をやりたくてウズウズして、結局やらなかった…という経験がある。やらなかった経験というのもなんだかおかしな話だけど、僕の心の中ではテスト中に叫びたかったんだから仕方がない。

さらに言えばテスト中に試験監督をしている教授に思いっきり消しゴムを投げつけたらどうなるだろう。休憩時間を越えてもずっと休憩していたらどうなるだろう。などと言うことも考えている。

時々「常識的に考えたらやってはいけないこと」をやってみたくなることがある。常識的な社会に生きていこうと思ったら、これらの妄想を実行することは全て破滅へとつながる。おそらく取り返しはつかないだろう。アウトローな道を転がり落ちていくこと間違いなし。
それはきっと破滅願望とでも言うべきものだ。

衝動に対して理性が上回っているから、僕はそこそこ普通に生活できているのだ。衝動にブレーキがかかるというのは本当に大事なことだ。誰しもこういう衝動は持っているものね。破滅願望というのかな。たまに全て台無しになってしまえばいいと思うんだけど、そこを理性が乗り越えることによって人は社会性というのを持つことが出来るのだろうね。
…というような話を友人にしたら、「そんなこと思ったことない」と一刀両断されてしまった。どうやらこれはそこまで一般的な話ではないらしい。

ここで理性とはなにか…などという哲学的(?)なお話をしたいわけではない。
ただ単にやっちゃいけないことを考える自分と、それをやっちゃいけないと考える自分がいるだけだ。
頭の中に天使と悪魔がいるわけではなく、ただ自分の中に自分が2人いる感覚だ。
理性的に、平和に生きたいと思う自分がなんらかの理由で弱ってきたら、破滅願望を持った自分が上回って表に出てくるのかもしれない。

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