『止まりだしたら走らない』の感想…内と外のバランスについて

インターネット・Twitterジャンキーなあなたは「ダ・ヴィンチ・恐山」というアカウントを知っているかもしれない。ネタツイートをしている人として有名だ。
あの人の作家としての名前が「品田遊」なのだ。

そんな「ダ・ヴィンチ・恐山」こと「品田遊」の初めての小説が『止まりだしたら走らない』である。

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あらすじ…というか本の説明

あなたの隣の乗客達は、こんなことを考えている!?

と帯に書かれたフレーズが素晴らしくこの小説の内容を表している。JR中央線に乗っている乗客、そして中央線周辺の人々、ちょっと変な乗客達の頭の中や行動が描かれる。

小説全体の軸となる長編があり、その合間に短編が挿入されるスタイルで話が進んでいく。
長編では、高校の「自然科学部」に所属する「都築」と「新渡戸先輩」が始発の東京駅から高尾山を目指し、高尾駅まで移動していく。
短編では、中央線を利用する様々な人々が描かれる…それぞれが「変な人」なのだけど。

中央線とは

小説内で描かれる「中央線」であるが、東京近郊に住んでいる人以外にはパッとイメージしにくいかもしれない。
この小説でいう「中央線」というのは「中央線快速」と呼ばれる区間で、東西に長い東京を横断する路線である。車体にオレンジ色のラインが引かれているのが特徴的で、東は東京駅、西は高尾駅を1時間と少しで直線的に結んでいる路線だ。
JRが発表している路線利用状況によれば、2015年度、神田駅(東京駅の隣)から高尾駅まで区間を利用する人は1日で67万5000人に達する。なんと東京ドーム12杯分だ。

67万人の乗客1人1人が、それぞれの理由を持って中央線に乗り込むし、それぞれが違うことを考えている。それを東西に運び続ける中央線。それがこの小説の舞台である。

内面の描写

『止まりだしたら走らない』に登場する人は、そのほとんどが「変な人」である。
そして、品田遊は「変な人」の思考をどんどんとトレースしていくのだ。

例えば短編「アンゴルモアの回答」に出てくる「高根」は都内の大学に通う大学院生なのだけど、彼の趣味はネット上の質問サイトに嘘の回答をしていく…というものだ。
そして、彼がそのような趣味に行き着いたバックグラウンドにスポットを当てていく。この小説を書いているのは品田遊ではなく「高根」が憑依しているのではないかと思うほど鮮明に。

「嘘を暴くと称する嘘」に騙される人間は、本当に多い。ここの連中は考えない。何も考えていない。口を開けて待っていれば、誰かが美味しい餌、栄養のある餌を放り込んでくれていると思っている。俺はそこに、石を投げ入れてやるのだ

自分が少し詳しい事柄について質問サイトを見ていると「適当な知識で答えやがって」と思うことがあるものだけど、実は知識が足りないから間違った答えを提示しているのではなく、わざと間違ったことを言っているのではないか…?と思える短編だ。

見事な内と外のバランス

この小説を読んで僕が感じたのは「内と外のバランス」である。人の内面について多くの部分を割かれていて、それがこの小説の読みどころであることは確かである。
それでも、内面描写にだけ傾いて破綻している…なんてことはまったくない。内と外のバランスがとてもいいのだ。

「内面の描写が充実」といわれる小説は、読んでいて退屈なことが多い。その理由はたぶん、話がなかなか進まないからである。
いつまでも主人公の心の中を描写していて、なかなか話が前進しない。読んでいて眠くなる。人物に感情移入できればまだいいのだけど、それすらできなければまさしく退屈で、文字の上を目が滑って空回りするような感覚に陥る。
しかし、『止まりだしたら走らない』は、内面の描写があってもちゃんと話が前に進んでいく、そんな心地よい感覚がある。

内と外のバランスというのは、おもしろい物や人を判断する上で重要なファクターである。
内面がどれだけよくてもそれだけでは人に伝わらないし、外面だけよいくてもそれは空っぽだ。
そのバランスをしっかりと保っているのがこの小説なのである。

人がただなにかを考えていても物語が前に進んでいく、それは電車に乗っているようだとも思った。

これがダ・ヴィンチ・恐山の最初の小説であるわけで、2作目3作目が楽しみだなあと思う。出るといいなあ。

装丁が凝っている本なので、電子書籍ではなく紙書籍版を強くオススメする。

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