とりあえずアニメ版だけ見終わった…今さらのエヴァンゲリオン

アニメやらマンガやらに触れながら生きていく上で、絶対にいつかは見ないといけない…と思っていた、「新世紀エヴァンゲリオン」のテレビシリーズを完走した。
Netflixで配信されはじめたのが2019年の6月。配信開始からズルズルと1年も寝かせてしまったのは、あちこちから漏れ聞こえてくる感想があまりにも重たいもの過ぎて、見るぞ!という覚悟を決めるのにだいぶ時間がかかったからである。

やっぱり有名作品であるから、いろんな噂を耳にしてきた。主人公の碇シンジがヘタレであるとか、主人公の父親の碇ゲンドウはなんらかの偉い人で人間的に終わっているとか、全人類は綾波レイ派かアスカ派に分かれるとか、最終回がヤバイとか…いろいろな噂に、自分の中でやっとけりをつけることができた。


まず思ったのは「シンジ君、聞いていた1.7倍くらい優柔不断だな!」ということ。
前半では人類の存亡かかってるんだぞ!という場面でそんなこという???という場面が多数。たしかに「碇シンジはヘタレである!」と主張したくもなる。
しかし物語が進むにつれて、シンジ君は段々イキってくる。エヴァとのシンクロ率が上がってくるにつれて、腹立たしく思えてくるほど調子に乗る。
そんなイキったシンジ君を見ているとシンジ君は14歳の中学生なんだなあと思えてくる。シンジ君はアニメの主人公じゃなくて、普通の14歳っぽいのだ。アニメの主人公じゃない14歳だったら、そりゃヘタレだし調子にも乗るだろう。シンジ君が特段ヘタレというわけではないんじゃないだろうか。

それどころかいきなり知らない機械に乗せられる、どう考えても死ぬかもしれない状況に放り込まれる。普通の14歳がそんなことに耐えられると思う方がそもそもおかしいのである。
ちなみにシンジ君がエヴァンゲリオンに乗り込むのは、当初父親に認められたいからであった。あんな父親に認められてどうすんねん。


人間誰しもなんらかの欠陥を抱えながら生きていると思うのだけど、エヴァンゲリオンの登場人物は、かなりわかりやすく人間性に欠陥を抱えている。
エヴァのパイロット組においては、シンジ君の異常なまでの自己主張の薄さ、認められたと思った瞬間一転して調子に乗る感じはすごくわかりやすく「なんだこいつ」だ。アスカは自分の才能が他人に逆転されたことがきっかけで周囲との関わりを絶ちたがったし、綾波はまあ…言わずもがな。

そしてエヴァンゲリオンの世界には「まともな大人」が存在しないといっていいだろう。少なくとも主要人物には。
碇ゲンドウは「全日本わけがわからない大人選手権」があったらたぶん代表選手だ。全話通じてひとつも共感できる部分が見出せない。加持リョウジに関しても、なんかわかるような口を利いているけど、実際には性欲を解消するためにわかってる風なことを言っているんだろうなあとしか思えない。だいぶまともな気がする葛城ミサトに関しても、最終的にはシンジ君にズブズブだしなあ。29歳が14歳の少年に…ってのはいささか…


最終回は、噂に聞いていたとおりヤバかった。自分はNetflixで一気に追いかけたから、まだマシだ。2クール分のアニメのラストでやってよく暴動が起きなかったなと思う。半年間追いかけてきたアニメのラストがああなるとは。
まあ、あの最終回があったからこそ、エヴァンゲリオンという作品が伝説となった…という向きも大きいだろう。だからこそ25年経った今でも議論されるし、次の映画の情報が少し出ただけで話題になるのだ。

一節には制作期間が足りなくてああいう形になったとかいわれているけれど、それが原因であの最終回が生まれたのだとしたら、本当に運命のいたずらとしかいいようがない。エヴァンゲリオンにあの最終回以外は存在しない…と思う。


本当にもう、いろいろと噂通りのアニメだったし、噂で聞いていたのを超える部分も多々あった。
このあとさらに旧映画版だったり「新劇」シリーズなるものもあるわけで、現在の感想が今後どのように変化していくのか楽しみなのだけど、とりあえずこれが今現在の感想である。

あ、ちなみに自分はミサトさん派です。

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