黒木渚 4thアルバム「死に損ないのパレード」

人に会ったり、旅行に行ったり、ライブに行き、映画を観にいく。たくさんの楽しいことが、どんどん犠牲になっていくのを嫌というほど見せつけられてきた。
そして楽しみの犠牲の結果が、後手後手に回った対策であり、何度も繰り返される緊急事態であり、苦しんでいる飲食店をさらに痛めつけようとする政治家であったり、オリンピックであったり。
そんな光景を1年以上も見続けていると、大きな無力感に苛まれてしまう。自分がなにをしたところで無駄で、自分の行動は無意味で、自分という存在が透明になってしまったような、そういう無力感だ。

少し前にもロックフェスが中止になったことに憤りを表明していたロッカーが、自分のお誕生日パーティーで乱痴気騒ぎをしていたというニュースが流れてきた。
当人の人間性の薄っぺらさは置いておくとして、一般人にはどうすることもできない、そこそこの有名人でもどうすることもできない、そういった事象に対して我々はいかに無力なのか。

じゃあ、なんで生きているのか、生きていられるのか。と考えると、無力感の下に「今に見ていろよ」という怒りの気持ちがまだ残っているからだ。

コロナ禍において黒木渚の曲を聴くことは「今に見ていろよ」という気持ちを強く持つことに他ならなかった。
それは「ふざけんな世界、ふざけろよ」であり「解放区への旅」であり「ロックミュージシャンのためのエチュード第0楽章」であり。
「ふざけんな」「フェイクばかりで薄っぺら」と歌う黒木渚を見ていると、死んだように無気力に過ごす日々の中に、まだまだ死ねないなと思う心が復活する気がする。


そして、黒木渚の新アルバム、タイトルは「死に損ないのパレード」である。

物騒なタイトルにギョッとしつつも、それでもひねくれた黒木渚の前向きのメッセージを感じる。そんなアルバムだ。

「死に損ない」は信用できます。
人の痛みに対する想像力を持っているし、
諦めにも似た悟りを持っている。
だから、私は立派な死に損ないを目指して歩いていきます。
できれば、同じような人々と一緒に百鬼夜行したい。
別に手を繋いでいなくたっていいし、華やかな道じゃなくてもいい。

黒木渚 公式ブログ – 死に損ないのパレードに加わらないか?

2016年に発声障害を発症して、歌手としてどん底の状態から這い上がってきた黒木渚が歌う「死に損ない」という言葉には生々しさがある。

表題曲の「死に損ないのパレード」で歌われるのは「どうせ僕らはキズモノだらけ」だけど「開き直って元気だな」という、必ずしも順風満帆ではなかったからこその居直りである。
キズモノだけど、だからどうした、気にするやつは気にすればいいさ。

黒木渚が戦っているのを見ると、自分もまだまだ戦わなきゃいけないと思えてくる。不思議なことに。

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