村上春樹みたいな文体を身に付けたい。もしくは『ノルウェイの森』について

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Photo by Luka Knezevic

カクンダヨ。カキタイコトガツヅクカギリ。

半年を超えてブログを書いていると、自分の文章というのが溜まっていくし、検索をすれば自分の過去の文章がヒットするようになっている。
特段なにをテーマにするとか決めて書いているわけではないので、ネットで話題になっていることとか、そのときになんとなく考えていたこと、恨み辛みなどなどが書かれたブログである。決して大層なものではない。

それじゃあ、大層なものでないことを大層に書くにはどうしたらいいのかと言えば、村上春樹的文体を身に付けることである。

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世の中のほとんどの人は個人ブログなんて求めてはいないんだ。求めていると思いこんでいるだけだ。すべては幻想だ。

村上春樹、そして村上龍は高校の国語で習った気がする。ちなみに僕は両者とも苦手である。村上春樹の方は苦行と思って2,3冊読んだ。
村上龍に関しては「勘弁してよ」ということで1冊目の途中で断念してしまった。

村上春樹の小説の登場人物というのは、なんでそんなにもオシャレ空間にいたがるのだろうか。なんでいちいちバーにいたがるのだろうか。
村上春樹がああいう事を書いているのを見ていると、秋元康がアイドルの歌詞を書いている様が創造されて、なんだかなあ。という気持ちになるのだ。
荒俣宏が過去に女性問題を抱えていたと知っていたときの違和感と酷似した感覚である。

「男の人ってブログのこと考えながらあれやるわけ?」「まあそうだろうね」と僕は言った。

そんなわけで、どうでもいいことを大仰に書くには村上春樹の文体を模写するしかない、そう僕は思うのだ。
僕は村上春樹をマネしてもいいしマネしなくてもいい。だが彼をマネた時…あくまで僕の考えだが…人間存在が単純化され、必要な寓話性を感じ取れないと思う。

そしてやっぱり、『ノルウェイの森』というのは誤訳であると、僕はそう結論するのである。
邦題を村上春樹が命名したものではないにせよ、好むと好まざると小説の題名としたのは彼なのであるから。

「Norwegian Wood」のどこに森という意味が存在するというのだ。そしてノルウェイの森というのはどんな森なのかがわからない。

I once had a girl, or should I say, she once had me.
She showed me her room, isn’t it good, norwegian wood?

「あるとき女の子を引っかけた、いや、引っかけられたと言おうか。
彼女は僕を部屋に招いた。素敵でしょ…」

「素敵でしょ…」この三点リーダーの中にもしも「ノルウェイの森」という言葉が入ったら、彼女の部屋はノルウェイの森みたいな内装ということになってしまう。それは好むと好まざるとそうなるのだ。

Norwegian wood (Pine)

Photo by Multerland

ロマンは何割か減るかもしれないが、「ノルウェイの木材」の方がいくらか正しい、僕はそう思うのである。

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