2018年のプロ野球が開幕して数日。皆様いかがお過ごしでしょうか。
20年来のジャイアンツファンとしては近年にない若手選手の元気さに戸惑い、上原浩治の復帰に喜び…といった状況。というか、若手選手と呼ばれる年齢層がもはや同い年から年下になりつつあることに気がついてしまった。
実は開幕戦のチケットが懸賞で当たっていたにも拘わらず、仕事の都合で東京ドーム行きを断念するという悲しすぎる事情を抱えてのプロ野球開幕。自然とスポーツニュースを確認する動きにも力が入るというものです。開幕戦は結局落としたのだけど。
これまでに何度かチケットはあるのに球場には行けないという状況を経験しているのだけど、その度に思うのが「自分が観に行っていたら、この試合はこういう結末だったのだろうか」ということ。
別に「自分の応援がチームに力を与える」みたいなお花畑みたいな話をしているのではない。どちらかといえばパラレルワールドとか、バタフライエフェクト的なお話だ。
自分が東京ドームに行っていた未来と行かなかった現実。平行宇宙が存在していたとして、この2つの宇宙では試合結果が違ったりするのだろうか。もしかしたら自分がどの経路を選んで水道橋駅に辿り着くかが平行宇宙の別れ目になっているかもしれない。
自分が東京ドームの中でしたくしゃみが、回りまわってホームランと外野フライの分水嶺になるかもしれない。そこまではいかなくとも、ストライクとボールを変えてしまうくらいの空気の揺らぎを生んでしまうかもしれない…
そんなことを考えていると、「試合を観に行ったから負けた」「テレビ中継を見始めたから失点した」なんていう、最終的にはオカルトとか迷信みたいな話に変わってしまいそうだ。
願わくば、自分が行こうが行くまいが試合展開が変わることはないと信じたい。目の前で菅野が炎上するのを見なくて済んだということで自分を慰めたいからである。