大学生活をずっと四畳半の下宿で過ごした結果、四畳半の部屋が延々と続く空間に入り込んでしまう…というのが、かの有名な「四畳半神話大系」の1エピソードである。
四畳半に引きこもり、四畳半の中で暮らす素晴らしさについて理論武装を繰り返してたどり着いたのは、延々と続いていく四畳半から抜け出すことができないという結果であった。
もちろん、四畳半の部屋がずっと連なっている…なんて奇妙な建物が存在するはずもなく、あれは主人公の精神世界が四畳半の中に閉じ込んでしまったと考えるのが妥当だろう。
僕はあのエピソードが大好きだ。あの小説は全体的に好きなのだけど、中でもあのエピソードは抜きんでて好きだ。
というのも、自分自身が引きこもり体質を十二分に備えていて、お金に一生困らないような立場であれば、ひとつの部屋でずっと引きこもってしまいそうな人間だからだ。
そういう自分という人間への戒めとして、あのエピソードが心に刻まれているのだと思う。お前、外に目を向けないと、二度と出られなくなるぞ。そういう自分への戒めだ。
件のエピソードをアニメで見て以来、休みの日は毎回じゃなくても、ある程度外に出よう、何らかの新しいものに触れよう。などと一応考えているのだけど、そこにきて皆様おなじみのコロナ禍である。
以前は外出しないなんて人間的にどうなの?くらい風当たりだった世間がここにきて逆転の様相を呈している。変に遊びに行って感染した日にはここぞとばかりに叩かれる。そういうことになってしまった。
昨年の11月ごろまでは気をつけつつ、たまには外出はしていたのだけど、緊急事態宣言の発令と医療機関のあまりの切迫ぶりに、外出しよう、遊びに行こうという向きが完全になくなった。
テレワークなんて夢のまた夢の対面式の仕事をしているため、仕事がある日は家から出ざるを得ないのだけど、趣味の外出をもう2か月はしていない。
スマートフォンの移動記録をチェックしてみると、綺麗に自宅と職場を結ぶ線だけが記録されている。誰に褒められるわけでもないのに。
職場と自宅の行き来をすると言うのは、ほとんど引きこもりと同義だ。通勤中になにをするでもない。ただ音楽を聴きながら歩いているだけだ。
活動をするのは職場と自宅のみ。四畳半よりは幾分広いけれど、行動範囲としては完全に「閉じている」といって差し支えがないだろう。人との交流も、人数的にはほとんど職場の人だけだ。
この生活がいつまで続くのかわからないけれど、とりあえず早いところこの状況にケリが付いてくれないと、精神的に職場と自宅以外の人生が消滅しそうな気がしている。
自宅と職場が延々と続いている、そんな世界に迷い込まないようにしたい。