掘り返されるタイムカプセルは幸せだ

年末である。部屋の片付けをしていた親がプリントを見せてくれた。それは小学生時分に担任の先生が作成していた学級通信であった。なるほど懐かしい。そして、なんでそんなものがまだ取ってあるんだ。

「これってそろそろじゃない?」と親が指さした記事に、タイムカプセルに関する記述があった。「将来の自分への手紙を書いて、タイムカプセルに封入。20年後に掘り返そう!」ということだ。計算してみれば、確かに来年、タイムカプセルを埋めてからちょうど20年だ。掘り起こすときではないか。これはめでたい。


しかし、どんなに思い返してみてもタイムカプセルなど埋めた記憶が欠片ほどもない。小学校低学年の頃の記憶だ。ほとんどの記憶は忘却の彼方に飛んでいったけど、タイムカプセルを埋めるなんて一大イベント、まったく覚えていないものだろうか。

少なくとも記憶の引っかかりとして、20年後の自分に手紙を書いたこと、タイムカプセルを埋めたことのふたつがあるはずのだけど、どちらもこれっぽっちも覚えていない。これではタイムカプセルを掘り出せるはずがない。


知り合いに「タイムカプセル埋めたことある?」と質問してみたところ「埋めた気がする…」という返答を複数人からもらった。指導要領かなにかに組み込まれていたのではないかと思うほどに、みんななにかしらのタイムカプセルを埋めている。成人式の時に開けようだとか、10年後に開けようだとか。ただ、そのいずれも掘り返していないとのことだ。

そう考えると小学校の校庭には、存在を忘れられてしまった無数のタイムカプセルが埋まっているのではないだろうか。


そもそも20年後にタイムカプセルを掘り起こそうと思ったら、一体どうすればいいのだろう。

さすがにひとりで学校に乗り込むのは良くないだろう。最悪通報される。できれば5人くらいはほしい。かつてその学校に在籍したことを証明できるようなものがあればいいのだけど。そもそもこのご時世にタイムカプセルを掘り返すという理由で学校内に入れてもらえるんだろうか…?

タイムカプセルを掘り起こそう!とならないのも頷ける。それでも掘り返してもらえたタイムカプセルは、それだけでも幸せだと思う。

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