orangestar.hatenadiary.jp
この記事を受けての、中学高校と体育の成績が5段階評価で3を越えたことがない男の話。ちなみに、中学の体育、最初の成績が2だった。
成績が3だったというのも、風邪を引いたりすることが少なくて休みがほとんどなかったために出席点が満点に近かったというだけで、単純に技能のみで採点されるのなら、1か2がついていたと思う。
スポンサーリンク
目次
- 昔から体育は苦手で、幼稚園のころから足は遅かったし、竹馬もうまくできなかった。5歳にしてその後十数年の体育で苦しむことが約束されていたようなものだ。特に器械体操と水泳が苦手で、そのふたつに関しては多くの幼稚園児よりもダメなのではないかと自負している。体育にいい思い出がないそんなんだから、体育にはほぼいい思い出がない。野球とソフトボールに関しては他の競技に比べたら下手でないという理由でいくつか楽しかった思い出があるくらいだ。体育にいい思い出がない理由の一端を、僕は高校時代に思い知った。僕の通っていた高校は秋にマラソン大会があり、1ヶ月前くらいから体育で長距離走をやっていた。授業時間中グラウンドを走り続けるのだけど、周回ノルマというのがあり、ノルマを達成できないと放課後に追加で罰走があった(授業時間内に何周していたとしても、ノルマに届かなければ同じ量の罰走があった)。そして、当時高校一年生の僕は毎回ノルマ未達で罰走を繰り返していた。サボってるやつに罰を与える制度だったのだと思うのだけど、僕はがんばってやってノルマに引っかかっていたのだ。当時の僕は、走っているとふくらはぎがつりそうになるという症状に見舞われていた。罰走は学校の周りを3周走るのがワンセットだったのだけど、僕はだいたい1周が終わる頃からふくらはぎが痛み始め、その状態で残り2周。本当に足が壊れるのではないかと思っていた。文字通り足が棒になる思いをしつつ、この世に長距離走という競技があることを恨みながら走っていた。週に2,3回の体育の授業があって、毎回罰走は加算されていく。体育がある当日に走れるわけがないので、必然的にほぼ毎日長距離走。そのたびにふくらはぎは激痛を訴え、それに耐えつつ、なんとかなんとか罰走を消化していく日々。気持ち的にはほとんど死にそうになりながら走っていたのだけど、走り終わって息が上がっている僕にかけられる言葉は「体力ねーな」もしくは「根性みせろ」であった。これで運動を好きになるわけがない。謎の数学教師罰走が全体の三分の二くらい終わった頃だろうか。これまた罰走の常連である友人(罰走で仲良くなったので、これも体育の思い出に入れてもいいかもしれない)と走ることへの恨みつらみを話していると、たまたま近くに数学の先生がいた。先生は「え、その距離がきついのか」と驚き、その後僕らの話を少し聞くと「じゃあ、今日の放課後俺も走るよ」と言い出した。その言葉通り、数学の先生はその日の罰走に現れた。なぜか本格的なウェアを着て。僕はそのとき知らなかったのだけど、先生は陸上部の顧問だったのだ。スタートしてしばらく、一緒に走っていた先生が僕らを止めた。距離にして200mも走ってないくらいだ。先生は「君らのフォームの問題がわかった」と切り出し、具体的なアドバイスをしてくれた。長距離走での歩幅、腕の振りの大きさ、体重のかけ方…5つくらいのアドバイスを聞いて、もう一度走り出す。走りながらもさらにいくつかのアドバイスをしてもらい修正…おそらくそれは、長距離走を走る上での基礎の基礎の話だったのだと思う。いつもならふくらはぎが痛み出す1周目の後半、特になにも感じない。2周目も3周目も平気。それどころか快調そのものでゴール。当時おそらくすでに50代であった先生はニコニコしながら「俺、まだ走り足りないけど、もう1セット行く?」と余裕。僕も余裕だったので2セット目に突入、さすがに疲れながらも完走し、負債を減らすことに成功した。僕の走り方の問題点を指摘はっきりと指摘し、直す方法を具体的に教えてくれたのは体育教師ではなく、数学教師だったのだ。体育教師の方が僕が走っているのを長い時間見ていたことは確実であるにも関わらず。いや、走る以外のことに関しても、体育教師から具体的なアドバイスをもらった覚えがない。がんばれ、根性、限界まで。先生に走り方を教わったあと、僕は一度もノルマ未達で罰走を受けることはなかった。もちろん速くはなかったし、かなり遅い部類ではあったのだけど、10分ほどの指導でなんとかノルマを達成できる程度にはなったのだ。走り方がおかしいやつ数学の先生は陸上部顧問だったとはいえ、おそらく知識的にはそこまで体育教師達と変わらなかったんじゃないかと思う。体育の教師になる人というのは、運動部で活躍していた人である場合が多い。実際、高校時代にはインターハイに出場するレベルだった人や、その頃の記録が未だに県の記録になっているような人、オリンピックを目指してかなりいいところまでいった人…などなど、そんな体育教師もいた。運動が苦手なこちらから見ると雲の上の人達だけど、向こうから見たらこちらはどう見えていたのだろうか?体育で身を立ててきた人達にとって、僕のフォームはあまりにもひどくて、どうしたらいいかわからなかったのかもしれない。その結果、精神論を説いていたのかもしれない。少なくとも僕にとって、中学高校で体育教師から教わった技術の総量よりも、数学の先生から10分そこそこくらいで教わったもらった走り方の技術の方が大いに役立ったと思う。体育の授業で精神論以外を教えて欲しいほぼマンツーマンで教わることができたという幸運があるとはいえ、精神論ではなく技術を少しずつでも体育の授業で教えてもらえていれば、スポーツを好きになったかどうかは別として、体育の授業をもう少し楽しく受けられたのではないかと思う。体育の授業が楽しくなれば、スポーツ嫌いの人は半減とはいかずとも、かなり減っていくんじゃないかと思う。あとは体育会系のしごきをなんとかしてみようか。
- 体育にいい思い出がない
- 謎の数学教師
- 走り方がおかしいやつ
- 体育の授業で精神論以外を教えて欲しい
昔から体育は苦手で、幼稚園のころから足は遅かったし、竹馬もうまくできなかった。5歳にしてその後十数年の体育で苦しむことが約束されていたようなものだ。
特に器械体操と水泳が苦手で、そのふたつに関しては多くの幼稚園児よりもダメなのではないかと自負している。
体育にいい思い出がない
そんなんだから、体育にはほぼいい思い出がない。
野球とソフトボールに関しては他の競技に比べたら下手でないという理由でいくつか楽しかった思い出があるくらいだ。
体育にいい思い出がない理由の一端を、僕は高校時代に思い知った。
僕の通っていた高校は秋にマラソン大会があり、1ヶ月前くらいから体育で長距離走をやっていた。
授業時間中グラウンドを走り続けるのだけど、周回ノルマというのがあり、ノルマを達成できないと放課後に追加で罰走があった(授業時間内に何周していたとしても、ノルマに届かなければ同じ量の罰走があった)。
そして、当時高校一年生の僕は毎回ノルマ未達で罰走を繰り返していた。
サボってるやつに罰を与える制度だったのだと思うのだけど、僕はがんばってやってノルマに引っかかっていたのだ。
当時の僕は、走っているとふくらはぎがつりそうになるという症状に見舞われていた。
罰走は学校の周りを3周走るのがワンセットだったのだけど、僕はだいたい1周が終わる頃からふくらはぎが痛み始め、その状態で残り2周。本当に足が壊れるのではないかと思っていた。文字通り足が棒になる思いをしつつ、この世に長距離走という競技があることを恨みながら走っていた。
週に2,3回の体育の授業があって、毎回罰走は加算されていく。体育がある当日に走れるわけがないので、必然的にほぼ毎日長距離走。そのたびにふくらはぎは激痛を訴え、それに耐えつつ、なんとかなんとか罰走を消化していく日々。
気持ち的にはほとんど死にそうになりながら走っていたのだけど、走り終わって息が上がっている僕にかけられる言葉は「体力ねーな」もしくは「根性みせろ」であった。
これで運動を好きになるわけがない。
謎の数学教師
罰走が全体の三分の二くらい終わった頃だろうか。これまた罰走の常連である友人(罰走で仲良くなったので、これも体育の思い出に入れてもいいかもしれない)と走ることへの恨みつらみを話していると、たまたま近くに数学の先生がいた。
先生は「え、その距離がきついのか」と驚き、その後僕らの話を少し聞くと「じゃあ、今日の放課後俺も走るよ」と言い出した。
その言葉通り、数学の先生はその日の罰走に現れた。なぜか本格的なウェアを着て。僕はそのとき知らなかったのだけど、先生は陸上部の顧問だったのだ。
スタートしてしばらく、一緒に走っていた先生が僕らを止めた。距離にして200mも走ってないくらいだ。
先生は「君らのフォームの問題がわかった」と切り出し、具体的なアドバイスをしてくれた。
長距離走での歩幅、腕の振りの大きさ、体重のかけ方…5つくらいのアドバイスを聞いて、もう一度走り出す。走りながらもさらにいくつかのアドバイスをしてもらい修正…
おそらくそれは、長距離走を走る上での基礎の基礎の話だったのだと思う。
いつもならふくらはぎが痛み出す1周目の後半、特になにも感じない。2周目も3周目も平気。それどころか快調そのものでゴール。
当時おそらくすでに50代であった先生はニコニコしながら「俺、まだ走り足りないけど、もう1セット行く?」と余裕。僕も余裕だったので2セット目に突入、さすがに疲れながらも完走し、負債を減らすことに成功した。
僕の走り方の問題点を指摘はっきりと指摘し、直す方法を具体的に教えてくれたのは体育教師ではなく、数学教師だったのだ。体育教師の方が僕が走っているのを長い時間見ていたことは確実であるにも関わらず。
いや、走る以外のことに関しても、体育教師から具体的なアドバイスをもらった覚えがない。がんばれ、根性、限界まで。
先生に走り方を教わったあと、僕は一度もノルマ未達で罰走を受けることはなかった。もちろん速くはなかったし、かなり遅い部類ではあったのだけど、10分ほどの指導でなんとかノルマを達成できる程度にはなったのだ。
走り方がおかしいやつ
数学の先生は陸上部顧問だったとはいえ、おそらく知識的にはそこまで体育教師達と変わらなかったんじゃないかと思う。
体育の教師になる人というのは、運動部で活躍していた人である場合が多い。実際、高校時代にはインターハイに出場するレベルだった人や、その頃の記録が未だに県の記録になっているような人、オリンピックを目指してかなりいいところまでいった人…などなど、そんな体育教師もいた。
運動が苦手なこちらから見ると雲の上の人達だけど、向こうから見たらこちらはどう見えていたのだろうか?
体育で身を立ててきた人達にとって、僕のフォームはあまりにもひどくて、どうしたらいいかわからなかったのかもしれない。その結果、精神論を説いていたのかもしれない。
少なくとも僕にとって、中学高校で体育教師から教わった技術の総量よりも、数学の先生から10分そこそこくらいで教わったもらった走り方の技術の方が大いに役立ったと思う。
体育の授業で精神論以外を教えて欲しい
ほぼマンツーマンで教わることができたという幸運があるとはいえ、精神論ではなく技術を少しずつでも体育の授業で教えてもらえていれば、スポーツを好きになったかどうかは別として、体育の授業をもう少し楽しく受けられたのではないかと思う。
体育の授業が楽しくなれば、スポーツ嫌いの人は半減とはいかずとも、かなり減っていくんじゃないかと思う。あとは体育会系のしごきをなんとかしてみようか。