黒木渚の私小説『檸檬の棘』を読んだ

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講談社

2019年11月に黒木渚の小説『檸檬の棘』が発売された。ほぼ同時期にアルバムの「檸檬の棘」も出ている。

わりと早い時期に買っていたんだけど、赤坂BLITZでのライブに参戦するのを目前に控えたこのタイミングで一気読みした。

一年間の憂鬱な執筆期間を経て、誰にも読まれたくない私小説を完成させてしまいました。
「檸檬の棘」を書いたのは音楽家の私とは正反対の私です。臆病で、ひねくれもので、繊細な死にたがり。
そんな自分と対峙しなくてはならず、自己嫌悪と恥ずかしさでどうにかなりそうでしたが、この作品なくして私の作家人生は始まらないのだろうという予感もありました。

公式サイトの本人コメントより

『アーモンド』という、僕が黒木渚を追い始めたきっかけになった曲があるのだけど、その曲は「首に腫瘍のあるハトは 今日も時計台の下にいる」という一節から始まる。

どういう人生を送ってきたら、こういう歌詞を書ける人間ができあがるのだろう。それをこの私小説から読み取ることができるのではないだろうか…と期待したのだ。
そして帯に書かれていたのは「十四歳。私は父を殺すことに決めた。」という衝撃的な一文であった。

あらすじ

孤独と怒りを抱えた少女が、崩壊寸前の家族を捨て、全寮制の中学校へ行くのは圧倒的なひらめきだった。
家を出て行った父と、それを受け止めた母、静かに悲しむ弟。四人家族の輪から最初に抜けたのは、私。

Amazonの内容紹介より

感想

「これはとんでもないものを読んでしまった…」というのが読み終わって最初の感想である。読んでいる間ぐっと引き込まれてしまったし、一気に読破した。

しかしこの小説が「おもしろかったか?」という問われたら、「そういうものではない」と答えるだろうし、「この本はみんなにおすすめか?」と問われれば「みんなにはすすめられない」と答えるだろう。
誤解の無いように言っておくと「おもしろい小説ではない」「おすすめはしない」というのは、まったくマイナスではない。星をつけるなら5つだから。

およそ父親らしいことをせず、最後には身勝手に家族を解散させた父への、殺意と同等の怒り。校則が厳しい全寮制の中高一貫の女子校という極端に閉鎖された空間で独善的に「正義」を振りかざす大人。
中でも家庭が壊れて沈みがちだった栞を陳腐に励まそうとする下心満載教師のくだりはなかなかに吐き気を催した。

そんな中で、身勝手だった父親が突然に死んでしまう。あんなに憎んでいた存在が突然消えてしまう。喪失感とは違う空しさだ。
人を「臆病で、ひねくれもので、繊細な死にたがり」にしておいて、いきなりいなくなってしまうのだ。

誰しもある時に強くこだわっていたのに、時間が経て無関心になってしまった物や事柄がひとつやふたつあるんじゃないかと思う。「こだわり」は戦いだ。自分が諦めたらすぐに終わってしまう。周りからは理解されないことも多い。だから、自分の心の中だけではこだわりを守り抜かねばならない。
それでもやっぱり時間経過と共にその気持ちが薄れていって、その時のことを思い返すと「なんであんなに必死になっていたのか」と思い、その一方でセンチメンタルな気分になることもあるだろう。

しかし、栞の場合は気持ちの整理ができる前にこだわっていた物がふっと消えてしまった。自分を形成していたこだわりの一部が、折り合いを付ける前に消える。
時間経過で忘れることができる「こだわり」とは、どれだけ幸せなことだろう。

黒木渚となにかを共有できているのだろうか

「アーモンド」の歌詞を書ける人が、どういう人生を送ってきて書けるようになったのか知りたくてこの小説を読んでいたのだけど、その目的は果たされなかった。
わかりやすく済ませるなら「厳しい寮生活の中で、唯一娯楽としてあった文学に影響を受け…」なんて書いておけばいいのだけど、それは人を理解したことにならないと思う。言ってしまえば浅はかだ。
人間もっと複雑だし言ってしまえばこの小説に書かれなかった部分だって多くあるのだから。

果たして僕は、黒木渚というアーティストのなにを汲み取ることができているのだろう。一体なにを共有できているのだろう。

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