うんちさんの話

実家から徒歩1分以内に、中途半端な公園がある。走り回れないほど狭いわけではないが、広いわけでもない。遊具がないわけではないが、充実しているわけでもない。住宅街によくある公園だ。

その公園で子どもが遊んでいるのを、もう10年くらい見たことない気がする。単純に実家近辺にあまり小さい子がいないということもあるが、自分が小学生くらいの頃もほとんどその公園で遊んだことはなかった。それはひとえに「うんちさん」のせいである。

うんちさんは公園から道を挟んではす向かいの家に住む老人である。僕が小学生の頃にはもう定年を迎えているであろう程度には年配だった。風貌としては「頑固親爺」という四字熟語がしっくりとくる。

彼はとにかく、公園で遊んでいる子供を敵視するのだ。ちょっとでも声が大きければブチ切れて乗り込んでくる。10歳くらいまでの子供に対しては、なにかと難癖を付けてブチ切れる老人なのだった。これだけでもいわゆる「アレな人」であることは伝わると思うのだが、彼は本当に徹底していた。

たとえば、当時はちょっとヤンキーな中学生が遅い時間(といっても21時とかだけど)が公園で騒いでいたこともあったのだけど、そこには絶対に乗り込んでいかない。たとえば、子供達が遊んでいるのに同行しているのがお母さんであれば難癖を付けるが、そこにお父さんがいるときには絶対に来ない。相手を選んでキレるタイプのアレな人なのであった。そういうのを「姑息」とか「卑怯」と呼ぶのである。

子供からみても「アレな人」であった彼は、蛇蝎のごとく嫌われていく。小学生から嫌われた者の末路として、直截でひどいあだ名がつく。その結果がうんちさんだ。

自身がうんちさんと呼ばれていると自覚しているのかいないのかは知らないが、うんちさんの難癖は過激に、常軌を逸していった。ほぼしゃべらずにポケモンを交換していても「うるさい」と怒鳴り込んでくるのだ。公園の前の道路を車が通った方が確実に大きな音が聞こえるというのに。

終始そんな感じなので、なにをするにもその公園を利用することはなくなっていく。中学年になるくらいには行動範囲も広がり、その公園に寄りつくことがなくなっていった。自分達より下の年代の子供も、常軌を逸したうんちさんから逃れるように他の場所で遊ぶようになったのである。

公園で遊ぶのはちょいヤンキーな高校生のみになったが、彼らもすぐにどこかに行ってしまった。ヤンキーなのに近所の公園にたむろしているのがダサいというのに気がついたのだろう。それ以来公園で遊んでいる子どもを見かけることはなくなった。

…それから20年弱が経った今、なぜこんなことを書いているのかというと、最近うんちさんを見かけていないことにふと気がついたからである。そういえば少し前まで、歩道の真ん中を我が物顔で歩くうんちさんを見かけることが稀にあったのだけど、最近それを見ていないのである。

うんちさんになにがあったのかはまったく知らないし、知りたくもないと思うのだけど、誰も遊ばなくなった公園が不憫ではないか。と思いこの記事を書いてみた次第である。オチは特にない。

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