戦力外通告の話

10月1日はプロ野球の戦力外の第1次の通告が始まる日である。
今年も各球団から多数の選手が戦力外通告を受けた。

体育の時間のチーム分け、自分をどちらのチームが引き受けるかで揉めた…なんて話はたまに聞くし、自分も揉められた心当たりがある。
まあ、チームに入る前に戦力外通告を受けているようなもので、辛いものがあるのだけど、スポーツとか運動を諦めている自分が戦力外になるのと、プロ野球選手の戦力外というのは当然のことながら、重みがまったく違うだろう。

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プロ野球選手になるような人々というのは、とことんフィジカルエリートである。ちょっと運動が得意とかそういう次元ではない。
小学校や中学校で「こいつがプロになるんだろうな」と思われていたようなレベルの人が高校で名門野球部に入ったら3年間ベンチ入りもできず…なんてことはザラである。
僕の中学にも、修学旅行にも行かずに野球に明け暮れていた同級生がいて、彼は確かにすごい運動能力であった。しかし、高校に入って以降の音沙汰はない。

名門野球部に入ったとして、その中でスタメンに入れるのは9人。さらにそのスタメンの中の一握りがプロ野球選手となる。1校で指名されるのはひとりくらいであろうか。もちろん名門から誰もプロになれないことはある。
プロ野球選手というのは、目がくらむようなレベルで選抜された人々なのだ。

それまで周りに運動で負けたことがほぼないような人生を送ってきたけど、プロでは戦力外でサヨウナラ。
そんな人々が受ける「戦力外」という言葉の重さ。「あなたは戦力になりません、よってチームから外します」という宣告である。想像しただけでクラクラする。

とあるテレビ局が、戦力外通告を受けた選手を取材し、その後の進路などを紹介するドキュメンタリー番組が一部で人気を博している。
僕も番組自体は興味深く見たりするのだけど、どうも「わかったつもり」になってしまう気がして、少し怖いなあと思う。

簡単にわかったつもりになってはいけない世界なんだと思う。

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