「ひとりで死ね」について感じること

どうもここ最近、いろいろとしんどいニュースばかりでぐったりしてしまう。

ほとんどテレビを見ない僕ですらそうなのだから、常にテレビをオンにしている人はもっとしんどいんじゃないかと思っているけど、そうでもなさそうなのは不思議だ。

参考 川崎殺傷「1人で死ねば」の声 事件や自殺誘うと懸念も朝日新聞デジタル

確かに子供を狙っての凶行は、どんな理由があったとしても許されることではなく、強く非難されるべき犯罪である。

しかし、そうであっても、「ひとりで死ね」というコメントがテレビを通じて、またインターネットを通して発信されることがまかり通ってしまうのは大変なことだと思う。


彼のようになってしまう可能性がある者として

50代引きこもり、そういうパーソナリティーが報道されれば、それに対する世間の反応というのは「甘えている」と相場が決まっている。そして部屋からゲームが見つかった!となるのがお決まりだ。家にゲームがない犯罪者だってごまんといるだろうにね。

かくいう自分も、50代引きこもりになっていた可能性は大いにある。一応の就職活動はしていたとはいえ、無職時代だってあったし、事件直後にしきりに使われた「引きこもり傾向」もある。心を病みかけた時期もある。

現在は定職に就いているし、仕事以外でも外に出たりして一端の社会人として生活をしている。ただ、それは人生の中でのちょっとした分岐がちょっとずつうまい方向に向かっていただけだと思っている。それは自分の力によるところもあるんだろうけど、小さくない部分が偶然によるものだったんじゃないだろうか。

だからこそ、分岐の方向が悪い方向に向かっていたとしたら、僕は彼だったかもしれない。そんなことを思う。いや、これから彼のようになってしまう可能性だって、ゼロではないと思う。

さすがに子供を狙った犯罪を起こす自分…というのを考えたくはないけれど、今後自分が50代引きこもりになっていない!という風に言える人は、なんだかとても自信がある強い人なんだなと思う。その人が実際に強いのか、そんなこと考えたこともなかっただけなのかはわからないけれど。

暴力と憎悪をまき散らさないで欲しい

とにかく、そういう自分の性質があるからだろうか。「ひとりで死ね」という言葉には鋭すぎる暴力性を受け取らざるを得ない。

それはもしかしたら自分が言われるかもしれなかった言葉であるし、全国にいる61万人の中高年のひきこもりに対しての暴力であると言えるだろう。

参考 中高年ひきこもり61万人 初の全国調査、若年層上回る朝日新聞デジタル

そしてそれをテレビで公言する、電波に乗せるという行為は考えが足りなさ過ぎると思う。わざわざ速報を出してまで「部屋にテレビとゲームがありました!」と報道していたんだから、そういった憎悪に満ちた暴力性がある言葉が当事者に届いてしまう可能性は大いにある。

「ひとりで死ね」なんて無責任に言われて、それが事態を良い方向に導くとは到底思えないのだ。

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